会社に依存しない仕事人生を生きる<前編>
40代女性といえば、ココロとカラダ、そして自分を取り巻く環境も大きく変化する時期。人生の折り返し地点が見えてくることで、「私は本当にこのままでいいの?」「残りの人生をどう生きていくべき?」と、自分のこれまでの人生やアイデンティティーについて悩んだり不安に感じたりする人が増えると言われています。
”ミッドライフ・クライシス”、”第二の思春期”とも言われる40代の葛藤時期を、時には立ち止まりながらもしなやかにたくましく乗り越えてきた経験を、アネフォー(姉フォー)と呼ばれる40代後半の先輩女性に聞いてみたい。そんな思いから、このサイトを立ち上げました。
ここでお話をしてくれる女性は、高収入のハイパーエリートでも雑誌に出てくるような良妻賢母でもなく、どこにでもいる普通の女性。会社で隣りに座っているちょっと憧れの先輩、というイメージでしょうか。
「いつも前向きですごいと思っていたけど、実は私と同じように悩んでいたんだな」とか「がんばれば私にも真似できそう」って勇気をもらえる体験談をたくさんお聞きしました。
大手食品メーカーの物流部門の管理職である長田 綾子さん。新入社員の頃から事業部で初の女性営業職に抜擢され、海外赴任も経験されています。しかしその華々しい活躍の裏側には、予期せぬキャリアチェンジや大きな挫折もあったそう。
「会社を辞めようと思ったこともある」と言う長田さんが、40代後半の今振り返る「会社に振り回されないキャリアの作り方」とは?

長田 綾子(ながた あやこ)さん
出身:福岡県
エニアグラムタイプ:5 研究者(人と距離をとり静かに観察する人)
職業:会社員(食品メーカーのマネージャー職)
長田さんと私は大学の同級生。二人とも田舎から大阪に出てきて、ハンドボール部で4年間一緒にコートを走り回った青春時代のチームメイトです。
今のお仕事を教えてください。
食品メーカーで物流企画のマネージャーをしています。私の部署の業務は、物流会社や運送会社との折衝や価格交渉をしたり、自社商品の物流基盤を作る、社内では目立たないけれど縁の下の力持ち的な仕事です。また管理職の業務として、メンバーの管理や経理業務など幅広く携わっています。事務仕事も多い「何でも屋さん」ですね。
出張も多いですよ。工場で作った商品を卸店に届けるまでの工程を管理する仕事をしているので、商品を届けてくれる物流会社と交渉するためには現場に入り込む必要があり、北海道から沖縄まで日本中を巡ります。
私は新卒入社ですが、いくつか部署を異動して、物流関連の仕事は10年目になりますね。
新卒入社からずっと今の会社で働いているのですね。
はい、2000年入社なので今年で25年目です。
社歴は長いですが、最初の8年間は健康関連の事業、次の7年間は海外事業、今の物流事業は約10年。それぞれまったく違う3種類の仕事を経験してきました。
だから気持ち的には「転職3回目」って感じです。
これまでのキャリアを振り返る
長田さんにこれまでの歩みをお話しいただくにあたり、その時々の感情の動きを表す「ライフラインチャート」をご用意いただきました。横軸が年齢、縦軸がモチベーションや満足度、幸福度です。長田さんのキャリアのターニングポイントはいつだったのでしょうか?
20代はどんな仕事をしていたのですか?
新卒入社後、最初の4年間は大阪の健康事業部でスポーツルートのセールスを担当しました。
当時、東京以外の地方勤務の女性営業職、そして健康事業の女性営業職はおらず、私が第一号でした。初めてづくしで大変なことも多かったけれど、比較対象がいなかったので成功も失敗もしやすかったという点では恵まれていたと思います。担当していた健康事業も社内では主力事業ではなく成長フェーズにあったので、決まり切ったやり方はなく、いろいろ自由にやらせてもらえましたね。
5年目に同じ事業部内で内勤の営業企画の担当になり、そこで4年間働きました。入社してからの8年間は仕事が楽しかったです。人間関係さえうまくいけば会社っておもしろいなあと。20代で若かったので体力的にもキツさは感じませんでした。
そして30代で大きな社内異動があったのですね。
2008年、32歳で海外事業部に社内異動しました。私のキャリアの最初のターニングポイントです。
当時はビジネス英語のスキルや貿易の知識を持っておらず、かなり苦労しました。
それから、この部署の雰囲気が前にいた部署と全く違っていたんです。「残業するのはあなたの能力が足りないんでしょ。限られた時間で任された仕事をしないとダメだ」と。今でこそ当たり前の価値観になりつつありますが、15年以上前の私にとっては衝撃でした。
他にも国内営業とは異なる仕事のやり方を叩き込まれました。たとえば、海外とのやり取りは契約文化。言った言わないでもめないように、きちんと履歴を残す、とか。それまでとは働き方がまるっと変わったので、順応するまでに時間がかかりました。異動後にグラフが少し下がったのはそのためです。
でも個人的には海外旅行も好きですし、海外の仕事にも興味があったので、つらくはなかったですね。
その後 女性初、海外転勤でシンガポールに赴任。すごいですね!
「女性初の〇〇」は、新卒の営業時代からそういう役割を与えられることが多かったので、自分的には「またか」くらいの感じです(笑)
「女性の活躍事例を作りたいのだろう」という会社の思惑もわかっていましたが、周りからのやっかみのような視線を感じることもありました。そんな中での初めての海外生活は不安や戸惑いもあったけれど、やるしかないなと腹をくくってシンガポールに行きました。
ただですね…、海外生活は3年間くらいかなあと思っていたのですが、会社都合で約1年で帰国することになってしまいました。担当役員の交代により事業方針が変わってしまったんです。会社員あるあるですよね。
でもまさか1年で海外赴任が終わると思っていなかったので、正直、不完全燃焼でした。初めての環境で1年間働いて、ようやく基盤が整い、よしここからが勝負だと思っていたので、「え、もう終わり?!」って。
会社都合に振り回されたなあという思いがあり、そのときに「会社に人生を振り回されないようにしないといけない」と意識するようになりました。自分で自分の仕事をコントロールしたいというか。このときの気持ちは正直うまく言葉にできないのですが・・・
同じタイミングで同じチャンスは二度と来ないから、「この仕事をしたい」と思ったらちゃんとその場でチャンスを掴まないといけない。強くそう思いましたね。
「もっと最前線に立って周りを巻き込んでやれ」と、当時の上司によく言われていたんです。でも実は私、自分から動くのが得意じゃなくて。どちらかというと周りに巻き込まれがちなんです。だからこそ、自分がやりたいことをやるためには、私は意識的、戦略的に動かないといけないタイプなんだよな、と海外赴任が短期間で終わってしまったときに気づきました。
先頭に立つと、やりたくないこともやらないといけないから面倒なことも多いじゃないですか。でもそうしないと、チャンスは掴めないんですよね。
40歳目前でグラフが大きく落ち込んでいますが、何があったのですか?
シンガポールから帰国後、海外事業部の管理部門に行きました。上司の航空券を手配したりスケジュール管理をしたり、まるで秘書(苦笑)「なんでこんな仕事してるんだろう」と思ってました。
40歳までにもう一度自分の仕事でバリバリ働きたかった。体力的にもここがピークだろうとお思っていたので、上司のサポートのような仕事は物足りず、つまらなかったんです。正直、「仕事、やだな・・・」って。
私がいた海外事業部は社内でも異動希望者が多い人気部署でしたが、私は「ここから出たい」と思った。もっと仕事をしたいから、と異動願いを出したら、次に行ったところがまったく望んでいない部署でして。「もう会社辞めてやろうかな」と思いました。それが39歳の頃。グラフが一番落ち込んでいる時です。
ちなみにその部署が、今いる物流部門なんですけどね。
えっ、会社を辞めたいほど嫌だった部署が今の職場なんですか!?
メーカー会社のヒエラルキーはマーケティングや営業、研究部門が花形。物流なんて誰でもできるでしょって思われがちで、社内の立場は弱いんです。社員も変わり者が多いし(笑)、自分の中ではあまり良いイメージがない部署でした。
異動後最初の仕事は在庫調整のようなルーティーン業務。まったく仕事におもしろみを感じられませんでした。「私、なんでこんなところにいなきゃいけないんだろう」って、落ち込みましたね。
実は…、そのとき転職活動をしたんです。内定ももらいました。
でも、転職活動をする中で、「私は今が売り時じゃないな」と気づいたんです。当時の私はまだ管理職ではなかったので、40代のプレーヤーとして自分を売り込もうとすると給与水準が上がらないし、そんなに良いポジションも見つからなかった。それなら今の会社で女性管理職としての経験を積んでから転職したほうが、自分を高く売れるな、と思いました。
嫌だけどもう少しここで踏ん張るほうが自分にとっていいはずだ。そう考えを変えてから、目の前の仕事も割り切ってやれるようになりました。
ただ、それだけだとやっぱりつまらない。だから自分の価値をもっと高めるために、積極的に社外ネットワークを増やすことを始めました。それで気持ちのバランスを取っていた感じです。
異動して3年後、今の管理職のポジションにつき、改めて自分の仕事の重要性を実感できるようになりました。メーカーでモノを作って運ぶ仕事はなくならないから、私がやっている物流企画の仕事は会社が利益を生むために必要だ、と。自分の仕事に意味や価値はあるな、と思えるようになってからは楽しく働けるようになりました。
ターニングポイント
40歳直前での予期せぬ異動により、大きな失望感を味わった長田さん。それでも会社に依存せずに自分の価値を高めたり、自分の気持ちをうまくコントロールしたりしながら、キャリアアップしてきました。キャリアのターニングポイントはいつだったのでしょうか?
今の自分を作った一番のポイントはどこでしたか?
私の仕事のやり方やマインドが形作られた一番のターニングポイントは、やはり海外事業部の頃です。
たとえば電話で話したままにせずに必ず後でメールを送るとか。言った言わないという嫌な揉め事って、周りを見ているとけっこうあるんですよね。そういうトラブルが極力発生しないようにする仕事のやり方は、契約文化が当たり前な海外事業で身につけたことです。
またその頃、子会社の数値管理の仕事もしていて、俯瞰して物事を見る訓練もさせてもらいました。いろんなことを吸収できる30代に、多岐にわたる仕事を任せてもらえたのは良かったなと思っています。
先ほどおっしゃっていた40代目前での転職活動のことを教えてください。
39歳で海外事業部から物流部門に異動したとき、どうしても仕事にやりがいを感じられませんでした。ここにずっといるのは嫌だと思って、海外の子会社の数値管理の経験を活かせる会社がないかなと転職活動を始めたんです。
内定ももらったんですが、給与が下がったり、地方勤務だったりと、自分の希望が100%叶う条件ではなかったんです。いろんな人に相談する中で見えてきたのが、女性管理職の希少性です。私たちの年代の女性管理職って、どの会社も必要としているんですよね。
であれば、今の会社で数年がんばって昇進するのと、転職先で実績ゼロの状態から昇進を目指すのとではどちらが得か。私は、今の会社で管理職になって給与も上げつつ、もし辞めたくなっても自分を高値で売れる状態にしておこうと考え、今は転職のタイミングじゃない、とスパッと気持ちを切り替えました。
週5日の仕事を週4日で巻きで終わらせ、余った時間を社外活動や人脈づくりに当てるなど、自分の世界を広げていきました。そういう意味ではこの39歳の時期もキャリアのターニングポイントだったと思います。
高く売れる「女性管理職」になった今、改めて自分をどう見ていますか?
今、課長のポジションにいて、次は部長。うちの会社でも女性の部長職を増やそうという空気はあります。
ただ・・・部長って楽しいのかな?よくわからないんですよね。いろんな部長を見ていても「社員のお世話係」のようだし。今、マネージャー7年目で実務をマネジメントする立ち位置にいますが、さらに上の部長は人のマネジメントの要素が強そうな気がします。求められる能力も違うし、自分の興味もまだよくわからない。
自分の中では、これからのキャリアの選択肢をいくつか考えています。役職定年や定年後再雇用で給与が下がっても副業収入で担保できればいいと思うし、役職にこだわってしがみつく人生よりは、いつでも自分で違うことができるように準備しておきたいと思うようになりました。このあたりは昔とは少しずつ考え方が変わってきていますね。
もちろん今の会社でうまくやっていくのも全然アリだと思います。安定収入を得ながら、自分で新しいことに挑戦する土台作りが、この先50代に向けての課題です。
自分の隠れた才能・スキルに気づくために
「女性初の〇〇」や海外赴任などの華々しいキャリアを聞いていると「私とは違う…」と思う人もいるかもしれません。一見、チャンスに恵まれてきたようにも見える長田さんに意地悪な質問をぶつけてみました。
いかにも仕事ができそうな長田さんですが、しくじりエピソードはありますか?
ここ数年で最大のしくじりは、昨夏のことです。当社の流通網の要である倉庫を移管する大仕事をしたのですが、想定外のトラブル続きで全然うまく進まず・・・。さらには商品の出荷が止まってしまって社内中がパニックになり、心身ともにかなりダメージを受けました。
物流の現場ってアナログとデジタルが複合的に入り混じっているんです。どちらかに偏っていれば集中的にリカバリーもしやすいけど、両方まんべんなく対応しないといけないから時間がかかります。毎日の商品出荷のスケジュールはタイトで、データ送信が少しでも遅れたら全拠点に影響しますし、最終的に人が作業をカバーするにしても、その人の熟練度が物流のクオリティーを左右する。なんというか、物流の仕事はひとつ問題が起きると玉突き事故のようにトラブルが連鎖するので、解決に莫大な時間がかかるということを身をもって知りました。
とにかくトラブル処理のために、もう住んでるのかと思うくらい倉庫に入り浸りの日々。倉庫の景色以外の夏の思い出がまったくありません(笑)
それは大変でしたね。自分のせいじゃなくても失敗すると凹みますよね…
失敗しない人はいない!良い時もあれば悪い時もある。
この経験を糧にしよう、プラスにとらえよう、と思いながら粛々と作業してました。まあ、仕事で失敗しても命までは取られませんし(笑)
あとその時に思ったことが、どんなに心が折れても、本当の意味では会社は助けてくれないということです。もちろんヘルプを出せばサポートしてくれますよ。でもメンタル的に立ち上がれなくなるほどしんどくなってしまったら、会社は「あいつはダメだったな」と代わりの人を見つけてきて終わり。
それは嫌だから、そうなる前に自分でうまくコントロールしていこうって思っています。根を詰めすぎずに適度にサボったりとかね。
環境や年齢のせいで自分のキャリアを諦めている人に、何と声をかけますか?
・・・会社辞めたら?(笑)まあそれは極端かもしれないけど。
会社はあなたの人生を守ってくれませんから。最後は自分で自分を守るしかない。
今の時代、35歳を過ぎて転職することも当たり前になっているし、昔よりチャレンジしやすくなっていますよね。副業ができるならそこから始めても良いと思うし。誰かの仕事を手伝うとか、小さく始めてみたらいいんじゃないでしょうか。
上司の立場から見て、一緒に働きたい40代とはどんな人ですか?
正直40〜50代になれば仕事のやり方や性格は変わらないので、新入社員のように手取り足取り指導はしません。ある程度仕事ができればまかせちゃいます。
小さい部署で人手が足りなかったり、それぞれの仕事の内容がバラバラな場合は、仕事ができない人が来ると上司の立場的にはちょっと困ってしまうので、自律的に動ける人がいいですね。
人員に余裕があったり全員が同じ仕事をしていてカバーし合える環境なら、そうでなくてもいいかもしれないから、会社や配属部署の規模は自分に合うところを選ぶといいのではないでしょうか。
